美川憲一(みかわ けんいち)さんは、1946年、5月15日生まれで、長野県諏訪市出身の、歌手、俳優、タレント、YouTuberです。
本名は百瀬 由一(ももせ よしかず)、独身。
生い立ちと経歴
シングルマザーの子として生まれたが、2歳の時に母が肺結核を患い、伯父母に引き取られて育った。
中学1年の時に実の親でないことを知り、親たちを食べさせるために芸能界を志し東宝芸能学校に入学し、1964年、第17期「大映ニューフェイス」に合格しました。
歌手としてデビュー
最初は青春歌謡路線

1965年、「だけどだけどだけど」で歌手デビューしましたが、当初は、普通の男装、美少年キャラでした。
1966年、ご存じ「柳瀬ブルース」が120万枚を売り上げる大ヒットとなり、一躍スターダムへとのし上がりました。
歌い方がぶっきらぼうなのは、苦手な曲だったからですが、その後のご当地ソングの元祖となりました。
さそり座の女以降停滞
1972年に「さそり座の女」が発売されると、大ヒット曲となり、星占いブームを巻き起こしました。
しかしそれ以後はヒット曲が無く、それまで7年連続の「NHK紅白歌合戦」にも出なくなりました。
復活はコロッケと共に

ものまねタレントの第一人者である、コロッケによる美川憲一の物まねがうけ、1989年正月の『オールスター爆笑ものまね紅白歌合戦』でコロッケが歌う途中で美川がサプライズ登場で大爆笑。これが「本人登場」の第一号であった。
このころまでには、独自のキャラの女装が定着していました。
現在は複雑な病状
美川憲一さんは、現在二つの病気を公表されています。
1. パーキンソン病
- 2025年11月13日に公表されました
- 9月の洞不全症候群の術後リハビリ中に違和感を覚え、精密検査で判明しました
- 現代医学では完治が難しい難病ということです
- 主な症状はふらつき、筋力低下
- 体重が約70kgから約62kgに減少(約10kg減)しました
2. 洞不全症候群(心臓疾患)
- 2025年9月に診断されました
- 心臓にペースメーカーを埋め込む手術を実施
- 術後の経過は順調ということです
現在の治療とリハビリ
- 治療法:パーキンソン病の薬を服用しながらリハビリにはげむ。
- 回復度:ご本人の話では「良い体調のときの60%ぐらい」らしい。
- 症状:立っているとふらつき足が細くなり筋肉をつけるのが難しい。
今後の活動

美川憲一さんは「しぶとくコンサートを続けていく」と強く表明。
12月の公演で復活を予定とおっしゃっていますが、2025年12月10日の記者会見では、を開いて、同じ病気と戦う人々に「絶対に負けないで!しぶとく頑張って」とエールを送っていました。
本人は100歳まで歌うと語っていましたが、それどころかこんな調子でコンサートどころか復活も難しいのではないでしょうか。
何日も続く公演は体力もかなり必要と思うのですが。
さてどうなることでしょう/
スポーツニッポン を参照

ありがとうございました。

