小田 貴月(おだ たか)さんは、1964年1月13日生まれで、東京都出身です。
今は亡き、日本の偉大な俳優の、高倉健さんと深い関わりがあることで知られる女性で、女優、タレント、声優、ライター、実業家でもあります。
小田貴月さんは香港で高倉健さんと出会う
小田貴月さんは、東京都板橋区出身で、千代田女学園高校から、同短期大学に進学して英語コースで学んでいましたが、スカウトされ、中退して芸能界にはいりました。
小田貴月さんは、1996年に、仕事で香港に滞在中、ホテルのレストランで、高倉健さんに声をかけられたことがきっかけで知り合うことになりました。
もちろん、高倉健さんが映画俳優であるということは知っていたでしょうが、それ以外のことはよく知らなかったようです。
そして、文通相手としての付き合いが始まりましたが、その後、2006年に同棲が始まり、婚姻届けの用意もしたのですが、結婚ではなく、養女になって親族になりました。
小田貴月さんは、なぜ養女に?そのきっかけは!
小田貴月さんは、2014年に亡くなった俳優の高倉健さん(享年83)のパートーナーでした。
小田貴月さんが、以前テレビ朝日系「徹子の部屋」(月~金曜・午後1時)に出演して、高倉健さんの「養女」となった理由を明かしました。
1996年に高倉けんと出会い、2013年に養女となった小田さんですが、高倉健さんが亡くなるまでの17年間、寄り添ってきました。
それが、妻でなく、養女になったきっかけは、何だったのでしょう。
話によると、小田さんの母親が11年に脳梗塞で倒れたこと原因だったということです。
「親族でないと病状をうかがうこともできませんし、病室で看病することもできない」という現状を見て、小田さんと籍を入れていなかった高倉さんは考えを変えたといいます。
2013年に小田貴月さんは、養女になりましたが、高倉健さんは2014年に亡くなっていますから、亡くなる1年前だったのですね。
結婚でなく、養女というのも分かる気がします。
小田貴月さんのその後の生活 まとめ
小田貴月さんは、高倉健さんと出会ってから死別するまで、自分の存在を世間に知られぬよう暮らして来たようですね。
言われてみれば、健さんのパートナーとして、長く世間に出てこなかった気がします。
ですが、今では、その後活動名義を「小田 貴月」とし、高倉プロモーション代表取締役を務めています。
2023年4月に、生島企画室と業務提携し、その後「アナザーストーリー運命の分岐点」を皮切りに、「徹子の部屋」などのメディアへの進出も増やしているようです。
これからは、どんどん活躍の場を広げていって欲しいと思います。
ありがとうございました。
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