数々の偉業・珍業で世の中に足跡を残し・・
ガッツ石松さんはこの世を去りました。
長嶋茂雄さんにも負けないほどの数々の名言を残したガッツ石松さんとは?

出典:東スポWEB
ガッツ 石松(ガッツ いしまつ)さんは、
1949年〈昭和24年〉6月5日~ 2026年〈令和8年〉6月2日)は、日本の俳優、実業家、タレント、政治活動家。元プロボクサーで、WBC世界ライト級王者です。
本名は、鈴木 有二(すずき ゆうじ)と言い、栃木県上都賀郡清洲村(粟野町を経て、現在の鹿沼市)出身で、株式会社 ガッツ・エンタープライズ代表取締役社長です。
偉大なるボクサー人生

▲ 乱闘事件 1972年 弟とその友人が、池袋で酔っ払いとケンカになった時、電話をもらって駆けつけて、8人をぶっ飛ばし、現行犯逮捕された。
しかし、「東洋王者の賞状に、王者たる者は、いつ、どこで、誰と戦っても負けてはならんとある」と弁明した。
ふつう、プロボクサーが、一般人相手に暴力をふるうと、そこでボクサー人生は終わってしまうが、2日間勾留されるも、正当防衛が認められて釈放され、処分も戒告だけで、ライセンス停止も免れました。
▲ 世界戦挑戦 1973年9月にパナマで世界戦に再度挑戦し、のちに4階級制覇するほどの強敵で、「石の拳」と言われたほど強烈な右パンチを持つ、WBA世界チャンピオンロベルト・デュランを相手に戦ったが・・。
2度目のパナマにうかれて試合前に観光に出かけ、2度のダウンと、強烈なボディーをもらってKO負けしました。
完敗はしたものの、6回に左フックでKOのチャンスもあり、手応えを掴んだ。

▲ その後 リングネームをガッツ石松に
最多11敗ののちに世界チャンピオンになるのは当時の最多黒星。
スタミナ不足で負けることも多く、練習で嫌いなランニングの時は、汗をかいたふりして水を被ってごまかした。
そんなことから、スタミナが無いので、ガッツが付くように、74年にガッツ石松に改名した。
▲ 災いがラッキーに 1974年4月に、時のWBC世界チャンピオンのロドルフォ・ゴンサレス(メキシコ)に3度目の世界挑戦が決まって気を引き締めた。
初の国内開催に、ここぞとばかりに2度合宿を繰り返したが、王者が毒グモにかまれて3カ月延期となった。
おかげで3度の合宿でスタミナがついた。
自身があったので、勝つ前から外車の高級車ムスタングを買った。
賞金で払うつもりだった。
▲ 圧倒奪取 その時の王者は、62勝(50KO)5敗と強力だったが、8回に左フックから連打でダウンを奪う。
がしかし、相手ひいきのレフェリーか(?)、約15秒のロングカウントの上に、2度目のダウンはレフェリーがスリップと判断して助け起こした。
陣営の会長やセコンドから猛抗議をするが「倒すから大丈夫」と制し、その通り連打を浴びせ8回でKO勝ちし、王座を獲得した。
内容的には、3度KOしたとも言われ、日本人で11人目、そのクラスで初の王者になった。

▲ 幻の右と呼ばれる 8回に奪った最初のダウンは、ワンツースリーで打った右のパンチだった。
左、右と打った連続パンチは間隔が短く、相手は右が見切れない。
その右のパンチをガッツ石松が「アリのワンツーを参考にした幻の右」と命名した。
▲ ガッツポーズ登場 当日は交通ストがあったが、約7000人が詰めかけて沸き返った。
ガッツ石松は勝利が決まると、両手の握り拳を上へ突き上げて万歳。
ニュースでこれが「ガッツポーズ」と見出しとなり、ガッツポーズの言葉が生まれた。
長女の有紀ちゃんを、リングで抱き上げて掲げるポーズも、その時から始まったと言われる。
▲ 有言実行がすごい ファイトマネー200万円は、両親に実家建て替えのためにプレゼントした。
夫人には「世界王者になったが5回は防衛するから、ファイトマネーは俺にくれ。実家の暮らしを助けるんだ。」と告げ、見事に約束を果たした。
◎ エピソード
メディアから尋ねられたことがあった。
ある年末に、今年の10大ニュースは何だと思いますか?上げてください。
と問われ、 「うーん十大ニュースかあ…」と腕を組んで考えた込んでいたが、おもむろに、
「ところでよ、いくつ挙げればいいんだ?」
「えっ…????? 10個でいいんですが・・ 」
「そうか、意外と多いんだな?」
ちゃんちゃん!
お読みいただきありがとうございました。

