日本の演歌のスーパースターの五木ひろしさんは、歌謡界に歴史を刻んだ偉大な歌手として、現在も大活躍中です。
デビュー当時は、なかなか売れず、レコード会社を変え、芸名を変え、銀座のクラブで弾き語りもしました。
1970年、高視聴率を誇った『全日本歌謡選手権』で10週連続勝ち残って、グランドチャンピオンになり、五木ひろしとして再デビューしました。
そして、代表曲となる「よこはま・たそがれ」がオリコンチャート1位となり、売り上げ65万枚の大ヒットとなり、それ以後五木ひろしの名を不動のものにしていくのです。
五木ひろしさんが病気で緊急入院!どうしちゃった?今の状態は?

どうして入院したの?
五木ひろしさんは、現在77歳。
とても元気で、東京・明治座で、「五木ひろし特別公演 坂本冬美特別出演」(デビュー60周年記念公演)に出演されていたわけですが、7月7日頃から続く体調不良のため、万全を期して緊急入院されました。
お元気といえども、お歳がお歳だけに何が起こるかわかりませんからね。
芸能界では、70代はひとつの危険な年代と私はとらえています。用心に越したことはありませんから。
当初から発熱はなかったようですが、鼻水やせきなど、風邪のような症状だったみたいです。
どんな症状? どんな病気?
検査の結果、白血球の数値が異常に高く、炎症が起きている可能性があり、慢性閉そく性肺疾患と気管支炎であることが分かったようです。
事務所の発表では、重篤な状態ではなく、本人はいたって元気だそうで、奥さんの付き添いのもと、精密検査を受けているそうです。
寒暖差アレルギーの持病は元来あったようですが今回の病気との関連性はわかりません。
肺疾患ということで、高齢者は肺炎などの病気は危険ですから、十分に注意したいですね。
でも、どんな病気なんでしょうね?
公演中止でファンは残念! しかし体が大事!
「デビュー60周年記念 五木ひろし特別公演 坂本冬美特別出演」(27日まで)は東京・明治座で今月5日からはじまりました。
時代劇「喧嘩安兵衛」と歌謡ショーの2本立てで、代表的なスタイルですね。
しかし、このお仕事、高齢の芸能人にとってはとんでもない重労働だと思いませんか?
しかも、順調だったなら27日まで続くんだそうですね。
とても大変!
初日の公演が終わった後、一緒に出演する坂本冬美さんとのインタビューに応じ「孫が僕のことを分かるまであと4、5年は頑張らなきゃ」などと話していたようですが、もっと体を大事にしてほしいですね。
もう別荘でもどこででも、悠々自適に暮らせばいいのにと思ってしまいます。有名な芸能人だからね。


五木ひろしはどんな? 知らない人のために!

生い立ち
五木ひろしさんは、1948年、3月14日、福井県三方郡美浜町で生まれました。現在77歳です。
これは太平洋戦争中でした。わからない人が多いですね。
本名は、松山数夫(まつやま かずお))で芸名を変えてレコード会社を変えてデビューは複数回にわたっています。
最初のデビューは、芸名「松山まさる」。
日本コロンビアから、「新宿駅から/信濃所の果て」がデビュー曲でした。
しかし、売れませんでした。
1965年6月でした。 最初の東京オリンピックのすぐ後ですね。
演歌歌手「三波春夫」さんの、「東京五輪音頭」が大ヒットしました。
これも誰も知らんか?!
再デビューは、1971年3月、前述の1970年『全日本歌謡選手権』で10週連続勝ち残り、グランドチャンピオンになった後です。
この時から、五木ひろしとなり、ミノルフォンレコードからデビューしました。
そして「よこはま・たそがれ」のヒットにつながるのです。
ついでに言えば、この翌年、アジアで初の冬季オリンピックが札幌で、開催され、ジャンプで日本の「日の丸飛行隊」が金メダルを獲得しました。 全部古い話ですね。スミマセン!
このテレビ番組は高視聴率を誇り、10週連続の勝ち残りグランドチャンピオンから、後の有名な歌手を生み出した、とても強力な歌番組でした。歌の実力派ばかりでした。
天童よしみ、大橋惠子、 五木ひろし、八代亜紀、中条きよし、山本譲二などが有名ですね。
デビューまでの略歴
デビューまでの険しい道のり
- 1963年:中学卒業後、京都の関西音楽学院に入学。 歌手を目指していたんですね。
- 1964年:作曲家、上原げんとさんの内弟子となり上京しました。歌に自信があったのですね。
- 1964年9月:第15回コロムビア全国歌謡コンクールで優勝。すでに実力派だったようです。
- 1965年:「松山まさる」として初デビュー。最初からはなかなか売れないものですね。
- 1967年:「一条英一」に改名して、ポリドールに移りましたが、売れませんでした。曲に恵まれなかった?
- 1969年:芸名を「三谷謙」に変えて、ミノルフォンに移籍しましたが、売れませんでした。
- 1970年:『全日本歌謡選手権』で10週連続勝ち残り、グランドチャンピオンに。すでに実力はプロ。
- 1971年:「五木ひろし」として再デビュー。
- そして、「よこはま・たそがれ」が大ヒット。テレビの影響も大きかったのでしょうね。
そして歌謡界の大スターに!
NHK紅白歌合戦では、1971年から2020年まで、50回の連続出場しました。
これは歴代最長記録です。
ヒット曲は多数あり。「よこはま・たそがれ」「津軽海峡冬景色」「おまえとふたり」など。
日本レコード大賞をはじめ、数多くの音楽賞を受賞しました。

まとめ
緊急入院した五木ひろしさんは事務所の発表によると、重篤な状態ではなく、本人は元気な状態らしいのでひとまず安心です。
これまで体は元気で大した病気もなく、入院したこともないし、もちろん公演の中止もないそうです。
しかし、元気な人ほど要注意ということもあります。
診断された病名も病名だけではどんなことになっているのかわかりません。
しっかり治して、元気を取り戻し、早く復帰してもらいたいものですね。
若い頃から、いろいろ苦労をされて、今や演歌界のてっぺんに立っち、演歌の大スターになった五木ひろしさんに益々
元気に活躍してもらいたいものですね。
私の本音は引退してゆっくりしてもらいたいですが。
ありがとうございました。
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