これから中日ドラゴンズで活躍が期待されるピッチャーの松木平 優太さん。
2003年生まれで大阪市出身です。
精華高校から、20年の育成ドラフト3位指名で、中日ドラゴンズに入団しました。
今季は2軍で好投を続け、7月、1軍にも出場できる支配下登録を勝ち取りました。
1軍では8試合2勝4敗でしたが、防御率3.70でした。
力強いストレートと変化球のコンビネーションが光る本格派右腕です。中日ファンには期待したい投手ですね。
実は、私も中日ファンなので・・・
松木平 優太はハーフ!父の国籍は?
松木平優太投手のお父さんは、インドネシア人です。
今はどこにいるのかわからないそうです。
なぜなら両親は、2才の時に離婚して、父はどこかに行ってしまったからです。
母は日本人ですが、小学校2年生の夏休みの時に病気で亡くなりました。
一緒にご飯を食べている夢を見ましたが、現実かなと思った時に、目が覚めて夢だとわかり、涙が止まらなかったそうです。
その生い立ちと 祖母と暮らす夢!
父母がいなくなってからは、おじいちゃんとおばあちゃんに育てられました。
二人とも、礼儀に厳しい人で、そんな影響が、礼儀正しいスポーツマンを育てたのかもしれませんね。
おじいちゃんは運動が好きで、ランニングにも付き合ってくれました。
おかげで強い僕が育ったと思います。
でも、高校2年生の夏に交通事故で亡くなってしまいました。
そのうち、おばあちゃんも体が弱っていって高校生のうちに、おばさんに引き取られました。
おばあちゃんは今、千葉県の老人ホームにいます。
両親が小さい時に離婚したり、早々と母やおじいちゃんを無くしたりと辛い淋しい生活を続けたこれまでの人生でしたが、大きく成長して夢をかなえなくてはいけません。
最大の夢がある!
初勝利の時は、すぐおばあちゃんに会いに行き、ウイニングボールを渡して普段言えない感謝の気持ちを伝えました。
2軍は東西に分かれていて、関東遠征が無いので、おばあちゃんにはオフの時にしか会えなかったのです。
「小さい時から育ててくれてありがとう。いっぱい迷惑をかけてごめんね。これからもっと活躍して、おばあちゃんを楽にできるように頑張るね。」
施設に入った時から、どうしたら一緒に暮らせるかを考えています。
そのためには、僕が1軍で活躍し、一緒に生活できるくらい稼がないといけないと思いやってきました。
おばあちゃんにテレビでプレーを見てもらうため関東でも中継のある、日本シリーズに出たい。
一緒に住めたら僕の夢はそれで終了です。
まとめ
今は、自分を支えているのは、おばあちゃん。
そのおばあちゃんと一緒に住めるのが最大の夢。
そんな優しさのこもった夢が実現する日が早く来ることを願ってやみません。
そんな心温まる中日新聞の生活のページの、家族のコーナーから記事を抜粋しておとどけしました。
またこのような記事を見たらお伝えしたいと思います。
ありがとうございました。
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