宮沢 りえ(みやざわ りえ)さんは、1973年 (昭和48年) 4月6日生まれで、東京都練馬区出身です。
日本人の母親と、オランダ人の父親をもつハーフで、身長167cm、血液型はB型で、日本の代表的な女優であり、歌手でもあります。
宮沢りえ デビューまでの生い立ち

誕生とルーツ(1973年)
宮沢りえさんは、1973年(昭和48年)4月6日、東京都練馬区に生まれました。
母・宮沢光子(通称”りえママ”)は日本人。父親はオランダ人の船員でした。
母は語学を学ぶためヨーロッパへ旅立ち、船上でオランダ人の父と出会い恋に落ちますが、やがて日本に帰国。
りえさんを東京で出産した後、夫とは離婚。りえさんは日本人とオランダ人のハーフとして育ちました。
幼少期は男の子に間違えられることが多かったそうです。
また、実の父親の顔はほぼ覚えておらず、「会いたいとも思わなかった」と語っています。
母の再婚と複雑な家庭環境
出典:Jp.Piterest.com シングルマザーになった母・光子さんは、銀座のホステスとして働き始め、お店でピアノを弾いていた小澤典仁氏と再婚。
りえさんは一時、母の姉・さつ子さんの家に預けられて育ちました。
母と継父の間に弟が誕生しますが、その後二人は離婚。
家族構成が目まぐるしく変わる、複雑な幼少期を過ごしました。
小学4年まで母の姉のもとで育ち、小学5年生のとき、母・光子さんと二人暮らしを始めます。
この頃、近所に住むカメラマンから声をかけられ、モデルの仕事がスタートしました。
当時、りえさんが憧れていたのは山口小夜子というスーパーモデル。
10歳の頃にテレビCMで見た山口小夜子の圧倒的な美しさに魅了され、「自分もこんなモデルになりたい」と強く思ったといいます。
11歳・正式デビュー(1984年頃)
11歳のとき、芸能事務所「オフィス・メイ」に所属しモデルとして正式デビュー。まもなく雑誌**『週刊セブンティーン』の表紙モデル**を務めるほどの存在感を発揮しました。
出典:NEWSポストセブン
12歳・初のCM出演(1985年)
1985年(小学6年生)、明星食品「チャルメラ」のCMで芸能活動をスタート。
同時期、同じく11歳でデビューした後藤久美子と同学年のライバルとして注目されるようになります。
1987年(中学2年生・14歳)、「三井のリハウス」CMの初代リハウスガール”白鳥麗子”役に抜擢されます。
このCMで一躍全国的な知名度を獲得し、トップアイドルへの道を歩み始めました。
もともとはモデルを本業としたいと考えていたりえさんでしたが、この頃からタレント・女優としてのオファーが殺到し、自然と芸能人としてのキャリアが形成されていきました。
同年、母・光子さんとともに個人事務所**「エムツー企画」**を設立。母がマネージャーとして支えることになります。
15歳・女優デビュー(1988年)
出典:ameblo.jp 1988年、映画**『ぼくらの七日間戦争』**で女優デビューを果たし、日本アカデミー賞新人賞を受賞。
一躍トップ女優・アイドルとして確固たる地位を築きました。
まとめ
生い立ちの年表
年齢 年 出来事 0歳 1973年 東京都練馬区に誕生(日蘭ハーフ) 幼少期 〜 両親離婚、母の姉に預けられる 小5 〜1984年 近所のカメラマンにスカウト、モデル活動開始 11歳 1984年 「オフィス・メイ」に所属し正式デビュー 12歳 1985年 明星食品「チャルメラ」CMで芸能活動開始 14歳 1987年 「三井のリハウス」CMで全国区のブレイク 15歳 1988年 映画『ぼくらの七日間戦争』で女優デビュー
複雑な家庭環境の中で育ちながらも、「山口小夜子のようなスーパーモデルになりたい」という純粋な夢が彼女を芸能界へと引き寄せ、まさに10代でスターとなった宮沢りえさん。
そのたくましさと美しさの背景には、こうした波乱に満ちた幼少期がありました。
女優として成功し、今後もさらに活躍を期待したいと思います。
ありがとうございました。




